武家諸法度(ぶけしょはっと)は、江戸時代に江戸幕府が諸大名を統制するために定めた法令である。
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豊臣政権の五大老であった徳川家康は、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後征夷大将軍に任命され、江戸に江戸幕府を構築し始める。
武家諸法度とは、江戸幕府が慶長16年(1611年)に諸大名から誓紙を取り付けた3ヶ条に、金地院崇伝が起草した10ヶ条を付け加えたもので、元和元年(1615年)7月に2代将軍の徳川秀忠が伏見城で諸大名に発布した(通称「元和令」)。
法度は大名、徳川家家臣を対象として、当初は13ヶ条であったが、将軍の交代とともに改訂され、3代将軍の徳川家光が参勤交代の制度や大船建造の禁などの条文を加え、19ヶ条の定型となる(「寛永令」)。5代将軍の徳川綱吉は諸士法度と統合して「天和令」を制定。
のちに、8代将軍徳川吉宗が6代将軍徳川家宣の定めた(実際には新井白石が改訂し、7代将軍家継が短命だった事もありそのまま用いられ続けた)「正徳令」を破棄して、「天和令」を永く伝えていく事を宣言し、以後武家諸法度の改訂は行われなくなった。
本法度は、将軍直令による制定・面令による幕府法で最重要視されており、大名統制のための命令・禁止の規範が大半をしめる。