ヤークーブ・ベクらをカシュガルに派遣したのと同じ1864年、ロシアはコーカンド・ハン国への侵攻を開始し、1865年にハン国北部の経済都市タシュケントを征服した。1868年3月、コーカンド・ハン国はロシアとの間に保護条約を締結し、ロシアの属国に転落する。敗戦に伴う政変によってコーカンドの君主となったフダーヤール・ハンは、コーカンド市内にロシア様式を取り入れたハンの新たな宮殿を造営するなど、ハン国の再建と専制の増強をはかったが、ハン国の瓦解をとどめることはできなかった。
やがてブハラ・ハン国の攻撃と支配下にあった遊牧キルギスたちの反乱が勃発し、1875年にフダーヤールは退位を余儀なくされた。反乱者たちはナースィルッディーンをハンに擁立したが、これは前ハンによって保護を求められたことを介入の口実とするロシア軍のさらなる侵攻を招いた。ロシア軍は翌1876年2月19日にコーカンドに入城、コーカンド・ハン国を滅ぼし、フェルガナ盆地の全域を支配下に収めた。
コーカンド・ハン国の旧領は完全に植民地化され、タシュケントにはロシアの中央アジア支配の拠点となるトルキスタン総督府が置かれ、その支配下にコーカンド・ハン国の旧領にヒヴァ・ハン国およびブハラ・アミール国から奪った領土を加えてシルダリア州およびフェルガナ州が設けられた。
歴代のハン [編集]
ハン国を建国する前のコーカンドの統治者、滅亡後の反乱指導者も含む。
シャールフ・ビー(1710年頃 - 1721年)
アブドゥッラフマーン(1721年 - 1739年頃)
アブドゥルカリーム(1736年頃 - 1746年頃)
エルデニ(1746年頃 - 1770年)
スライマーン(1770年頃)
シャールフ2世(1770年頃)
ナルブタ・ビー(1770年 - 1800年)
アーリム・ハン(1800年-1809年) - 最初にハンを称する。
ムハンマド・ウマル・ハン(1809年-1822年) - アーリム・ハンの弟。最盛期を現出。
ムハンマド・アリー・ハン(1822年-1842年) - ウマル・ハンの息子。ブハラ・アミール国により処刑される。
シェールアリー・ハン(1842年-1845年) - アリー・ハンの息子。
ムハンマド・フダーヤール・ハン(1845年-1858年、1862年-1863年、1866年-1875年) - シェールアリーの息子。ブハラへの逃亡と復活を繰り返し、最後はロシアにより軟禁された。
ナースィルッディーン(1875年-1876年2月19日) - フダーヤールの息子。反乱指導者によりハンに推戴されたがロシアにより倒され、タシュケントに追放。
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